鹿児島地方裁判所 昭和33年(わ)261号 判決 1959年4月01日
被告人 記善次郎
昭二・七・一一生 農業
主文
被告人を罰金一、〇〇〇円に処する。
右罰金を完納することができないときは、金二五〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
未決勾留日数のうち一日を金二五〇円に換算して、右罰金額に満つるまで算入する。
訴訟費用のうち、証人福山茂一、同内親雄、同森島サヨに支給した分は被告人の負担とする。
理由
(本件にいたるまでの経緯)
被告人は、昭和三十三年八月八日午前一時頃、名瀬市入舟町九班一休食堂横空地にあるAの営業する酒販売の屋台に赴いて、焼酎を飲んだが、その際現金を持つていなかつたので、たまたま右屋台に来合せて被告人の相手をして手伝つていた松久久子に所持していた金側腕時計(証第二号)を飲代の担保として渡しておいたのに、右Aは焼酎二杯を出しただけでそれ以上の注文に応じなかつたし、右松久から腕時計を受取つていながら右時計も預つたことはないと嘘言をついたことに憤慨し、同町同班山元時計店の前道路上で右Aを殴り倒した。そこで右Aは大いに怒つてその場を立去ろうとした被告人を追つかけていつた。
(罪となるべき事実)
それから被告人とAは口論しながら、連れだつて、同日午前二時過頃、同町一〇班吾妻屋旅館横の空地にいたつたが、被告人は、その間においてAの態度が急に自己に対して媚態を示すように思われたのと、酒に酔つた勢もあり、その場に同女を押し倒し、腰を地につけ横倒しとなりながら、同女が「旅館に行つて」と言つて制止するのに拘らず、同女の胸の辺に自己の頭を押しつける等して、暴行したものである。
(証拠の標目)<省略>
(弁護人の主張に対する判断)
弁護人は被告人が犯行当時泥酔しておつて、意識がなかつたと主張するようであるが、本件記録によると、右犯行当時、被告人が相当量の焼酎を飲んでおり、或程度酔つていたことは認められるけれども、心神喪失ないしは心神耗弱の状態にあつたとは到底認めることはできない。
(検察官の主張に対する判断)
本件公訴事実の要旨は、被告人が、前記Aの屋台に赴き同女を相手に飲酒したうえ、同所をでたが、その帰途午前二時十五分頃同市矢之脇町二班の道路上に於て、右Aの姿を見かけて劣情を催し、同女を強いて姦淫しようと決意し、同女を同所から前記吾妻屋旅館前路上に追いつめて、同女をその背後から路上に押し倒し、うつ伏せに倒れた同女の左腕を掴えてそのまま同旅館北側空地に引きずり込み、同女の背後から馬乗りとなり、救助を求めようとする同女の口腔を手拳で塞ぎ、腰部に手を差し込んで同女を仰向けの姿勢にころがせようとする等の暴行を加え、その反抗を抑圧して強いて、姦淫しようとしたが、同女から抵抗を受けたため、その目的を遂げなかつたが、右暴行によつて、同女に対し、全治まで五日位を要する左肘関節部擦過傷等の傷害を負わせたものであるというのであつて、強姦致傷罪が成立する旨主張するのであるが、前記認定の暴行の事実以外は、後に説示するように、検察官主張の事実は認めるに足りる証拠がない。
一、Aの司法警察員に対する昭和三十三年八月八日付(以下これを警察第一回調書という)、同月九日付八枚のもの(これを警察第二回調書という)、同日付五枚のもの(これを警察第三回調書という)、同人の検察官に対する供述調書(これを検察官第一回調書という)及び受命裁判官の同人に対する証人尋問調書(これを証人尋問調書という)には、検察官主張の事実に合致する供述記載があり、かつ強姦致傷罪で被告人を処罰してほしい旨述べているが、同人の供述は次のような事情で容易に措信することができない。
(1) 同人の供述は、首尾一貫しておらず、供述の時によつて重要な点で供述の内容がかわつている。
(イ) 吾妻屋旅館横の空地における行動について。
警察第一回調書には「私は永田病院の前から吾妻旅館の前に大急ぎで逃げましたが、吾妻旅館の前附近で追いつかれあのそばにある空地の下水溝附近に押し倒され、更に空地の方にズルズル引張りますので、これは私はいたずら(強姦のこと)するのだなあと直感したので倒れたままで私はうつぶせになり乳の附近を両手で押えて居りましたら、あの男は私の上からのりかかつて来て私が兄さん兄さんと大声で助けを求めると手を離し、又のりかかつて声を出そうとすれば大きな手で口を押えるし、こうして二、三回くりかえす中に私の着ていた着物は袖がちぎれてしまうし、下駄はぬけるし誰も助けに来てくれないのでなんとか欺さなければならぬと思い倒れたままで「私はすぐこの近所に家を借りているしこんなところで見苦しいことは出来ぬから家に行きましよう」と言つた処それまで押えつけていた男が「うんそうしよう」と言つて私から離れたので立ち上りました……」(四枚目表九行目以下)「私がうつ伏せていると体をねじて仰向けにしようとしていましたが私がもがいて抵抗した為大事に至らず済みましたが上から乗りかかつた時に嫌らしいことを言つたとか、私の乳房をいじつたり又は股の附近に手をやつたようなことはありませんでしたが、確かに強姦するつもりだと思います。」(六枚目表最終行以下)と供述していたが、警察第三回調書になると「次に吾妻旅館横の空地では最初に私を一回あお向きに投げ飛ばしましたので私はその場に斜め横向に倒れました。その時に頭の左後頭部を地面に強く打ち付けて終いました(中略)私が倒れますと相手の男が更に空地の奥の方に私を引きずつて行きましたので、私は引きずられまいとして争つている中に男の力に負けて約一間位引きずられましたが、その時に左手の関節の部分と左足の関節の部分に傷を受けたものと思います。それから上唇の部分にも少し傷を受けておりますがその傷はその男が私を空地に引きずり込んでから倒れている私がうつ伏に地上に腹這いになつておりましたので私の頭を両手で挾むようにして私の顔を上わ向けてキツスしようとした事がありましたが、その時に私はキツスされまいとして顔を砂がつくのもかまわないで地面にすつ付けて居りましたのでその時に受けた傷と思います」(第三項)「私が倒れてもうつ伏せしていて絶対に上向きにならなかつたのでその男は両手で私を上向きにしようと何回となくしましたが、私が全力でそれを拒んだのでとうとう上向には出来ませんでした。すると今度は着物の下から手を入れてひざ頭の附近をさわりましたのでこれは大変だこのままにしていてはどんなに頼んでも相手の男は最後まで目的を達するまで乱暴する事を止めないと思いましたので私はこの男をだまして何とか起き上ろうと思つてその男に向つて「兄さん私の家はすぐそこで私一人だけだから私の家に行きましよう、こんなところで変なことは出来ないから」と言いますとその男は「うん」とか何とか言つて私を離れて立ち上りました……」(第五項第一〇行目以下)とやや具体的な事実を供述し、この調書になつてはじめて第一回調書で否定したと思われるキツスをしようとしたり着物の下から手を入れて膝頭にふれたことを述べているが更に検察官第一回調書になると「私は自分から警察に届けようと思い履いていた下駄を右手に下げて警察に向け走り出しました。ところが善次郎は、私が走り出した姿を見つけたのか、私を走つて追いかけて来るので私は永田病院の前から吾妻旅館の方に向けて大急ぎで逃げましたが、とうとう吾妻旅館の前附近で善次郎に追い着かれ同旅館横の空地の近くの路上で背後から善次郎に押し倒されました。私はその時路上にうつ向けに倒れましたが善次郎は両手で倒れている私の左腕を掴んで空地の方へ一間位ずるずる引つ張りました。私は左手関節部を路面について体をささえてうつ向けに倒れていたのですがその姿勢のまま石や下水溝の板の上を引きずられるのですからその痛さと言えばたとえようもありませんでした。吾妻旅館の二階の客室についている電燈の光が見えるので同旅館に居る人達から助けてもらう心算で私は精一杯の声でにいさんと叫びました。その時善次郎は一寸私を引きずる力をゆるめたので、私はうつ伏せになつた儘でしたが、今度は善次郎は私の背後から乗りかかつて来て私を仰向けにしようと考えたのか片手で私の腰の辺りを押え片手を私の右腰の下に差し込んで仰向けにひつくり返えそうとするのです。私はその時うつ伏になつた儘両腕の関節で乳房を隠すように前半身をささえながら体に力をこめて彼から仰向けにされないようにつとめて居りました。その頃私は善次郎は私を強姦する心算だなあと考え、精一杯の力でにいさんにいさんと助けを求めました。すると善次郎は私を仰向けにしようとして右腰の下に差し込んでいた手を離しうつ伏になつている私に馬乗りになつて私が右の様に助けを求める為大声を出そうとするとその手で私の口を押えつけ声が出ないようにするのです。斯うしている間二、三回私がにいさんと叫びましたらその都度私の口を押えて声が出ないようにしました」(第一〇項終りより三行目以下)「善次郎は時には片手を私の顔に当てて私の顔を善次郎の方に向けようと致しました。彼としてはキツスをする心算であつたのではないかと思います。」(第一三項四行目以下)「……言い落しましたが、善次郎は私を押えつけている間に私の右下腿部辺りに片手を差し込んでいたこともあります。これは私の陰部に手を差しこもうとしたのか、或いはうつ伏せになつている体を仰向けにする為にしたのか判りません。」(第一四項第八行)となつており、証人尋問調書においては右検察官第一回調書と大体同旨の供述がされているが、吾妻屋旅館の空地の前道路で被告人に押し倒されてから空地まではどのように引きずられたかは記憶がないと述べ、また被告人は右空地で私の腹の上にのつたりの乱暴をし、同人から押えつけられている間に右足の膝の上(もも)に手を入れるので大変だと思つて家へ行こうとあざむいた旨供述している。
(ロ) 頭の傷を受けた時期、及び山元時計店の前の暴行について。
警察第一回調書によると、「山元時計店の附近まで歩いていましたらこの男が追いかけて来て時計店の前附近でいきなり殴り倒し、その為に私は道路で頭を強く打つた……」(三枚目裏四行目)と述べ、吾妻屋旅館横空地では前記のとおり頭を打つたことには触れていないが、警察第三回調書には「最初山元時計店の前の路上で私はその男に一回ねじ倒されましたが、その時は横向きに道路上に倒れただけで余りひどい倒れ方ではなかつたので傷は受けていない」(第二項七行目)と述べ、前記のとおり頭の傷は吾妻屋旅館の横空地でうけたように述べているが、検察官第一回供述調書によると「善次郎に背を向けて歩いている頃、いきなり背後から善次郎が私に迫つてきて私の左横から頭を殴りつけました。その時私はあまり突然のことで彼がどのようにして殴つたのか知りませんが、そのために私は路上に倒れ頭の左部か後部か存じませんが強く路面に打ちつけました」(第九項二行目)と述べ、後所において頭を打つたとは述べていないこと前記引用のとおりであり、また証人尋問調書では「問 証人が後頭部を打つたのは山元時計店の前かそれとも吾妻旅館の横の空地か。答 吾妻旅館の横の空地だつたと思います。問 証人は警察では初め山元時計店の前だと言い後では吾妻旅館の横の空地だと言い検察庁では山元時計店の前だつたとごちやごちやになつているがどつちだつたか区別がつくのか。答 はい。二ヶ所でやつているからわかりません。と述べている。
また山元時計店の前の暴行によつて着用していた浴衣の左袖がちぎれかけたと供述したのは検察官の第一回供述調書(第九項二〇行目)からであつて、警察第一回調書には吾妻屋旅館横空地であると供述している点は前記引用のとおりである。
(ハ) 屋台における被告人の行動について。
警察第一回調書によると「ゆうべ(八月八日午前一時頃のこと)この男(記善次郎のこと)が店に来たのは一時頃だつたと思います。その時他にはお客さんもなく焼酎を一杯くれと言つて入つて来ましたがその時の恰好では酔つている風にはみえませんでした。焼酎をコツプに一杯ついで出した処が、それを一口位のんでパツト外に捨ててしまいもう一杯というので更にコツプ一杯ついで出しましたが初めての客ではあるし癖が悪そうにみえたのでうるさいと思い、ちようど店に友達の久ちやんがみえていたので久ちやん一人を残して店を出てしまいヤンゴ通りに出て明楽の真向いにある看板(奄美映画の宣伝ポスター用の看板のこと)の前に立つていましたら、久ちやんがやつてきて姉さん姉さんこの時計をと慌てて渡してから大通りの方へ急いで行きますので久ちやんも誰からか追いかけられているのだなあと思い時計を受取つて店に帰つてみますと先刻からの男(記善次郎のこと)がいてもう一杯くれと言つて聞き入れませんが、もう酒は今夜はしまいで、ありませんよと言つても尚くれくれと言うのでこんな客に相手していればどうなるか判らんと思い、又店を出て山元時計店の附近まで歩いていましたら……」(二枚目表三行目)と述べているが警察第二回の調書によると「……二杯目の焼酎をついで出すとき何だか変なお客さんだと思いましたがお客さんが注文なさるからと思つて出さないのも悪いと考えて焼酎をつぎかけておりますと、その男が小さい声で私に向つて「僕は専売公社の田中だ」とそのお客さんが言いました私はその事を聞いて専売公社の田中さんと言えば屋台をしているナツちやん姉を刺したあの男ではないかと思い出して恐ろしくなりました(中略)又この男は「僕はマヂ兄と集団強盗に入つた一人だ」と言うような事も言つておりました」(第三項一四行目)「久ちやんが帰つて終つてから約一〇分位してから私は自分の屋台に帰りますと、屋台のローソクが消えておりましたお客さんはローソクが消えた中で黙つて掛けておりましたが、私が店に帰りますと又焼酎を一杯くれと言いますので焼酎はもうありませんと断りました私が断つても一向に帰る気配がありませず何だかこのお客さんは恐ろしい感じがしますので又私は明楽の先程涼んだ場所に来て涼みました。……」(第五項)「久ちやんが逃げるようにして帰つた後私が屋台の中に帰りますとローソクの火が消えておりますので風もないのに火が消えるのは変だと思つてローソクに火をともしますとその男はローソクの火を吹き消しました。そして三回位火を吹き消しては暗くなつたところで私の腕を掴んだりしたことがありました」と述べ、検察官第一回調書及び検察官の同人に対する第二回供述調書には警察第二回調書と同趣旨の供述がなされているが、証人尋問調書には「問 被告人は証人の屋台で僕は専売公社の田中だとか強盗の片割れだとか言つたのはほんとうか、答 はい。それは私の屋台に来る前にも他の屋台でも言つているそうです。問 被告人がそんな事を言つたとき松久久子もいたか。答 もう帰つた後でした。問 すると被告人の時計をあずかつた後か、答 はい。」(八枚目裏七行目)「問 客が屋台に座つているのに外に涼みに行つたことがあるか、答 ありません。当夜は記さんを妙な人だと感じたので外に涼みに行きました。問 妙な人だとはどんな事をさすのか。答 一杯目についだ焼酎を投げ棄てたりした態度がおかしかつたのです。それから屋台のローソクを消そうとしたり立ち上つて手を握ろうとしたりしたのです。問 そのとき松久久子もいたのだろう。答 久ちやんはいました。」(一一枚目裏六行目以下)とあいまいな供述になつている。
(2) Aの供述は、本件訴因となつた事実以外の点をも含めて、他の証人の供述と甚だしく喰い違いがあつて、嘘言を弄することの多い性格であると思われる。
(イ) 屋台における被告人の行動について。
昭和三三年八月八日午前一時頃被告人が右Aの屋台に焼酎を飲みに来てからの被告人の行動についての右の供述は前記(1)(ハ)記載のとおりであり、また同人の検察官に対する第二回供述調書及び証人尋問調書によると被告人に提供したのは焼酎二杯とつき出し一皿であること及び屋台では被告人と被告人の時計のことで話をしたことはないことを供述している。
(A) しかし受命裁判官の証人松久久子に対する証人尋問調書によると、被告人が一杯目の焼酎を一口か二口飲んで残りを捨ててしまつたことは右Aと同旨の供述をしているが、被告人が前記の屋台に来た時は酔つてはいるようであつたが、乱暴しそうな素振りや口をきいたことはなかつたこと、恐ろしい人だという感じは受けず、一言もしやべらず、おとなしく飲んでおり、陽気にも見えなかつたが陰気な男にも見えず、右松久が被告人に応待したのは約一〇分間であつたが、その間ローソクの火を吹き消したりはせず、Aがなぜ屋台を出ていつたのか理由はわからなかつたこと及び被告人に出したのは焼酎二杯だけでつき出しは出していないことを供述しているし同人の司法警察員や検察官に対する供述調書も右の供述と矛盾するものではない。
(B) 川井ツネの検察官に対する供述調書によると、同人の屋台はAの屋台の隣り合せであるが、八月八日午前二時頃右Aの屋台から時計は取らんよというAの大声が聞えて来たが、客である男はおとなしく小さい声で時計をやつてあるから焼酎を飲ませというているようであつたこと、二人で口論して後、Aが涼み台の所にでていると男が近づいてまた時計のことを話していたこと、その時にもAは時計は取つていないと大声でどなつていたことを述べており、同人の司法警察員に対する供述調書及び受命裁判官のした検証の際にも同趣旨のことを述べている。
(C) 前記(本件にいたるまでの経緯)欄で認定したようにAは松久から被告人の時計を受け取つていながら、被告人には時計は預かつていないと嘘を言つている。
(ロ) Aは警察、検察、受命裁判官の面前においては、前掲記のとおり被告人より追い駈けられて、吾妻屋旅館横空地前の道路上で、被告人に追いつかれ、そこでいきなり倒されてうつ伏せの状態で右空地内に引き摺り込まれた旨を供述しているが、これを他に見た証人は一人もなく、却つて受命裁判官の面前における証人向井一三及び竹田和男の各証言によれば、右空地前の道路に面した大船食堂の前辺りの道路上に被告人とAがただ立つて居り、そのうちにAの方が先に空地の内に入つて行つたのであつて、而かもその間二人の間は最初は五十糎位離れており、空地に入るときは一米位Aの方が先であつて、ぼそぼそ話していたり時には大きな声を出していたようであつたとあり、その間暴行らしい行動は何等存しなかつたと謂う。然るに本件証拠に現われた吾妻屋旅館の横空地における被告人とAとの行動状態等を最初から終りまで目撃していた証人としては、その間多少見損つた箇所はあるにしても、右向井及び竹田の両名のみであつて、右両名は右空地の近くに住んでいた学生であり、その供述には相当真実性があると認められる。然らば、本件強姦致傷の被害者なりと言うAの供述は、右現場の行動について、而かもその根本たる最初道路上で被告人より倒されて空地内に引き摺り込まれたとの点については全くの嘘言ではないかと疑わざるを得ず、更に司法警察員の作成した実況見分調書によれば、右実況見分は警察署と現場とは目と鼻の先にあり乍ら、犯行の行われた八月八日より四日もおくれた八月十二日に行われて居つて、その内容を検討しても、Aにせよ誰にせよ何人かが道路上から空地内に引き摺り込まれたと認むべき痕跡は何も存していないのである。
(ハ) Aの着ていた浴衣の袖について。
(A) Aは警察第一回調書においては吾妻屋旅館横空地で被告人から暴行をうけた時にちぎれたと述べていたが、検察官の第一、二回調書になつて山元時計店の前で既にちぎれかけていたと述べたことは前記引用のとおりであるが、川井ツネの検察官に対する供述調書によると、右袖は山元時計店の前で三糎位を残して他はきれたと述べていること。
(B) Aの検察官第一回供述調書によると右の袖切は本件犯行後現場に残されていたので警察官が証拠として領置した旨供述(第一七項)し、また司法警察員作成の実況見分調書にもその旨の記載があるが、受命裁判官の証人向井一三に対する証人尋問調書によると、右の袖は、被告人が逮捕された後にもまだAの浴衣についていたと述べている。
(ニ) 本件犯行後の被告人の行動について。
Aの検察官第一回供述調書によると、その場に立ち上つてから被告人はAの左腕を自分の左肩越に引いて肩を組み右手でAの右手が動かない位にとらえて歩き出した旨述べているが、前記証人向井の尋問調書によると二人の間隔は五〇糎位離れており、出るときも女が先であつたと供述し、また証人竹田和男の尋問調書には男が女の手を引くようにして道路にでてきたが、道路に出るとき女が蹉いて下水に倒れたところ、男が助け起してやつたが女はこれからどちらに行くかと男に話していたと述べており喰い違いがある。
(3) このように前記Aの供述は、容易に信用することができない事情にあるから、前記(1)(イ)で詳細に引用した吾妻屋旅館横の空地での被告人の行動に関する同人の供述も、前掲証拠の標目欄二記載の各証拠と対比して考えてみると措信することができないのである。
二、被告人の司法警察員に対する供述調書には「多分私が飲んだ屋台店の女だつたと思いますが、飲んだ勢で然もその女が私に甘い態度をとつたようで屋台の附近で女にいたずらしようとして押し倒した様な記憶はありますが、何処でどの様にしたかくわしいことは判らぬし、どの附近を通つたか時間は何時頃だつたかも判りません。女にいたずらするというのは肉体関係をしようという意味ですが、ゆうべ女とは関係しておりません。女が私に抵抗したので出来なかつたと思いますが、先程から話している通り一杯だつたのでどうもくわしいことはおぼえません。」(四枚目表九行目以下)という供述記載があるが、右供述だけで被告人に強姦の犯意があつたとまで断定することは困難であるうえに、前掲証拠の標目欄二記載の各証拠を綜合すると、当時の状況は、被告人が右Aの反抗を抑圧してまで姦淫する意志はなかつたと解するのが自然のような状態であつたことが認められる。
三、Aの傷害の点については、医師政真哉作成の診断てん末書及び同人の検察官に対する供述調書によるとAは左肘関節部擦過傷、後頭部腫張鈍痛、右前膊背部擦過傷を負つている事実は認められるけれども、後頭部位の傷害については前記一、(1)(ロ)で引用したとおりAの供述によつても山元時計店の前における被告人の暴行(この暴行は起訴状記載の事実からみると訴因になつていると解することはできないし、又公訴事実にも属しない)によつて生じたことが窺えるし、また他の部位の傷害が吾妻屋旅館横の空地における被告人の判示の暴行によつて生じたと認めるに足りる証拠はなく、却つて証拠の標目欄二記載の各証拠によると、右暴行は傷害の結果を生ずる程激しいものではなかつたと認められるので、右傷害について被告人に罪責があるということはできない。
(法令の適用)
被告人の判示の所為は、刑法第二〇八条、罰金等臨時措置法第二条第三条に該当するので、所定刑のうち罰金刑を選択し、その金額の範囲内で被告人を罰金一、〇〇〇円に処し、同法第一八条に従い右罰金を完納することができないときは、金二五〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、同法第二一条を適用して未決勾留日数のうち一日を金二五〇円に換算して右罰金額に満るまで算入し、訴訟費用につき刑事訴訟法第一八一条第一項本文に従いそのうち証人福山茂一、同内親雄、同森島サヨに支給した分は被告人に負担させることとする。
このような次第で主文のとおり判決する。
(裁判官 田上輝彦 梅津長谷雄 井関浩)